応援メッセージ

札幌発の新たな価値創造に期待

若林朋子(社団法人企業メセナ協議会)

寄稿日2006年3月16日

いよいよ、劇場・コンカリーニョが帰ってくる。再建ファンドの現在達成額を時折見ては、再建の道のりは長かろうと持久戦を想像していたので、「こんなに早く?!」と正直驚いている。しかし、なるほど、これにはもっともな理由があったのだ。

2002年夏、周辺地区の再開発計画にともなって旧活動拠点が閉鎖・解体されたコンカリーニョは、自らの存在意義を根本的に問い直さざるをえないという厳しい試練に直面した。しかしこの時から、ハードは失ったけれども、ソフトとしての新たなコンカリーニョがしっかりと大地に根をおろし始めた。再生プロジェクトを組織し、NPO法人化を選択、「芸術の力を社会に生かしていくコミュニティ拠点となる劇場づくり」という活動のミッションと意志を社会に向けて明らかにすることとなった。その後「ターミナルプラザことにPATOS」の管理運営を行政より委ねられ、日々の活動を継続する中で、劇場再建に向けて出資金を募り始める。

困難と正面から向き合った団体は強い。コンカリーニョはこの3年のうちに、心理的にも実際の活動においても社会化され、活動態として着実に力を蓄えていたといえる。これこそが、早期の劇場再建につながった大きな理由だろう。

再建にはもうひとつ特別な意味がある。コンカリーニョは、市民の自発的な意志と行動に基づいて運営されてきた民設民営劇場だ。今回の再建も、劇場という存在に対する市民の切実な思いが反映された結果であり、それをサポートしているのもまた市民なのである。与えられたものではなく、自らの責任において市民が地域の社会資本づくりに挑戦していることの意義はきわめて大きい。

再建にあたり、今は多くの関係者や地元住民に支援していただく立場だが、「生活支援型文化施設」をめざす新生コンカリーニョの活動は、人をつなぎ、地域を育み、新たな価値創造の基盤を提供するという、他者をサポートするメセナ的要素を持ち合わせている。つまり、コンカリーニョへの支援は、地域コミュニティの未来に対する社会投資であり、まだ見ぬ芸術文化や自らの新たな生活スタイルへの投資といえるだろう。ぜひとも多くの方々に、この新たな社会資本作りにご協力いただければと願う。

そしてコンカリーニョには、多くの方々の期待を“札幌発の新たな価値創造”にぜひとも結び付けていってほしい。地域に劇場があるとはどういうことなのか。劇場、芸術文化だからこそ、地域にできることとは何か。こういった問いに見事に答えてくれるような、新生コンカリーニョの今後の活動に期待している。

コンカリーニョとの出会い

epo(singer)

寄稿日2002年8月21日

コンカリーニョのプロデューサー高橋さんと初めてお目にかかったのは、東京代々木にある藤田バンテというギャラリーで、岩下徹さん、鼓童の金子龍太郎さん、EPOという異色のメンバーで、60分一本勝負の即興プログラムを行った時でした。それが御縁で、コンカリーニョでのライブが実現。近年、人の顔が見えるところで歌う活動がとてもおもしろくなっていた、私にとって、この場所は絶好の空間でした。

何よりも、多くのアーティスト達が残していったアートのシミ。物にも魂が宿るとしたら、コンカリーニョの壁や床にはこの建物が無くなったとしても、この記憶だけは残ることでしよう。また、ここで発信されてきた、様々な芸術によって、私達の5感も、一緒に成長してきたのではないかと思うのです。

コンカリーニョは、残念なことに、なってしまいますが、またこの新たな旅立ちをきっかけに、多くの芸術家達を育てる場と、発信の場になるのではないかと、期待しています。そして、「ここにくれば、何かに出会える」といった、人々の期待を必ず形にしてくれるものと信じてやみません。スタッフの皆様、本当に御苦労さまでした。

コンカリーニョへのメッセージ

松本美波(アーティスト・マネージャー)

寄稿日2002年6月28日

私は東京を拠点とするパフォーミングアーティスト丹野賢一のマネージャーをしています。私にとっての北海道初体験はコンカリーニョ公演の機会にありました。私にとっての北海道はまさにコンカリーニョです。北海道は大好きな場所です。

古い建物がどんどん壊されていってしまう今、コンカリーニョを今まで守り続けて来られた努力は並大抵のことではなかったと想像できます。建物が無くなることはただただ残念です。そのコンカリーニョへの私なりの思いを綴ってみました。

コンカリーニョの素晴らしさとは、会場のその姿形の素晴らしさにも勝るスタッフワークにあると私は感じています。

会場はいうまでもなく、現代の日本の建築では味わえない独特の情緒と美しさを持ち合わせており、私が過去に行った日本のどの劇場にも勝る劇場だと思います。まず、初めてコンカリーニョに伺って驚かされたのは、レンガと土の高い壁です。そして天井の高さと立派な梁、その上にある空調の為の大きな羽根が大きな特徴になっています。全てが他のどの劇場とも違っているのです。劇場のキャパシティも狭すぎず大きすぎず舞台を観る環境には最適で、かつ照明や音響などの設備も素晴らしく音の制限もなく、しかも劇場の楽屋には宿泊できる道具がそろっている、今では稀有でありがたいお心遣い。本当に箱だけとっても最高の劇場と言えました。

実は公演を行う前から、コンカリーニョにて公演する機会を与えて下さったJcdnの佐東さん水野さんからは、「ここのスタッフと付き合って欲しいんだ!」と言われていました。なるほど実際に公演を行ってみてコンカリーニョの本当の素晴らしさは箱だけにあるわけではないと思い知らされたのです。そこで私は7年間のマネージャー生活の中で最高とも言える丹野の公演を観ることができました。その独特の会場を知り尽くし、環境を最大限生かした照明によって引き出された丹野の世界は私にとって衝撃でした。もちろん高い技術やセンスがあってのことなのでしょうがこんなに魅せられる、個性の強い照明にであったのは人生で初めてでした。良く見知ったアーティストではあるのに初めて観る丹野を見せてもらったという衝撃。

私はそれをコンカリーニョの代表でもある照明家の高橋さんにどれくらい伝えられたでしょうか?美しく、的確で、フレキシブルで、贅沢で、渋くて、かっこいい、高橋さんの照明に対する賛辞はいくらでもでてきてしまうのです。もっと丹野と一緒に作品を作って頂きたいといつも思っています。また、アーティストがとても気持ち良く仕事ができる環境を実にさりげなーく(これが大事!)整えて下さる舞台監督の細川さんの凄腕にも感激致しました。マネジメントを仕事とする私が最も密接にお付き合いさせて頂いてるのが制作の斎藤さんですが、彼女の情の厚さと、テンションの高さと、舞台に対する熱と愛にはいつも敬服しています。お会いするたびに見習わなくては・・・と思わされてしまうのです。他にも多くの素晴らしいアーティストやスタッフがいつもいてくれるのです。

というように会場はもとより、スタッフの素晴らしさによって成り立ってきたのだと深く思えるコンカリーニョですから、もしも箱の形が変わってしまっても、私達の愛するコンカリーニョでありえると思います。

初めての北海道体験から2年が経とうとしていますが、毎年公演を行わせて頂ける事に感謝しています。今年の夏で建物が取り壊されることになると聞き、アーティスト達が自らその建物の最期に駆け付けて公演を行うことを計画しています。もちろん丹野がその急先鋒です。
今までのコンカリーニョへのお別れと、新しいコンカリーニョへの足がかりともなる8月の企画を盛り上げて行きたいと思っています。

今後も私は遠くにいるけれどコンカリーニョを応援して行きます。
そして新たな展開がより素晴らしいものでありますように、切に願います。

コンカリーニョへ

金子竜太郎(和太鼓奏者/鼓童メンバー)

寄稿日2002年6月28日

鼓童の北海道ツアーがすべての始まりだった。代表の高橋氏が現地照明のスタッフとして旅に同行し、いつのまにか意気投合した。互いに「アミーゴ」と呼び合い、行く先々で連れ立って温泉に行ったものだった。

「倉庫を改造したライブスペースやるんだけどアミーゴなんかやってみない〜?」とアミーゴ。

ガーナのメディスンマンでありドラムマスター、アジャアディとのジョイントライブ。これが私のコンカリデビュー、そしてソロプレイヤーとしてのデビューでもあった。いわばここはソロプレイヤーとしての生まれ故郷なのだ。

古いのに何か澄んだ空気を感じたというのが第一印象。実際にやってみて場のエネルギーの個性と生音の素晴らしさに驚いた。そのことは何度かやらせていただいたが、毎回感じられることだった。

またここでは今に繋がる貴重な出会いもあった。水墨画の杉吉貢さん、馬頭琴&のどうたの嵯峨治彦さん。アーティストとしての魅力に加え人間的な魅力もすばらしく、私の創造活動に大きな影響を与えてくれている。

ソロプレイヤーとして産声をあげてから6年、鼓童のグループとしての活動の合間に細々とではあるが続けてきた。そして去年、嵯峨治彦さんと歌手のEPOさんとでAguriというユニットを創った。

生まれ故郷のファイナル企画に、ソロ活動の一つの結晶であるこのユニットで参加できたことは本当にうれしいことだった。次ぎの楽しみはやはりこれだ。新生コンカリーニョで遊ばせてもらうこと。そしていろいろな温泉にまた行くことである。

コンカリーニョに思う事。

小島屋万助(パントマイム/東京在住)

寄稿日2002年6月21日

コンカリーニョとのつき合いはもう6年になる。本当にいいスペースだよね。雰囲気最高。お客さんのノリもよし。毎年新しい作品を作るプレッシャーもあったけど、おかげで僕自身成長させていただきました。ありがとうコンカリーニョ!そのコンカリーニョが無くなってしまうのはとても寂しい。さよならコンカリーニョ!でもまた再生するかもしれないって?いいぞコンカリーニョ!がんばれコンカリーニョ!

まあ僕の思っていることはこんなものです。でも最後のがんばれコンカリーニョ!というのは嘘です。あんまりがんばって欲しくない。コンカリーニョのよさは人です。高橋さん、ちずさん他スタッフのみんなの人柄がよいパフォーマンスを作る土壌になっているのですよ。

コンカリーニョ再生計画はいいことだと思います。もちろん旗ふり役は当事者である高橋さんたちがやらなければならないでしょう。でもあまり頑張りすぎてすりきれてしまうことを僕は心配します。矛盾するようですがほどほどに頑張って下さい。コンカリーニョのみなさんがアーテストでありつづける限り、コンカリーニョは無くならないのです。
なにか僕にできることがあれば、言って下さい。おいしいお酒を飲ませてくれればいつでも飛んで行きます。

コンカリの今後について

沢則行(人形劇/チェコ・プラハ在住)

寄稿日2002年6月20日

うーむ。
この原稿は半年も前からちずさんに頼まれていたモノなのだが、ぼくは生来の怠け者の上に、言いたいことや感じていることをどう書けばこれを読むであろう(と思われる)日本人にわかってもらえるのか、皆目見当がつかなくて、いっそなかったことにしよう、そうだ、そうだ頼まれなかったんだ、と逃げまわってきた。書く、ってむずかしい。

ヨーロッパに住んで10年、プラハに家があって、そこからいつも自分の芝居をかついで、多くの、本当に多くの国に旅をして演じてきた。大人数での国際共同制作や、ワークショップもやってきた。芸術大学で教えていたこともある。あ、これはいわゆる「自慢話」や「苦労話」ではけっしてないので皆さん、注意するように。食べて、さらに家族を養うために、何だってやってきたのだ。ひとつ、神さまに心の底から感謝しているのは、人形と芝居以外の仕事をする必要がなかった、ということだ。本職だけで喰ってきた。ヨーロッパだったから、できたのかも知れない。そして、アートの現場については、ずいぶんたくさんのことを見てきた、と思う。

そこで、だ。
今回はぼくの日常の仕事の様子を書いて、それがコンカリの将来の役に立つかどうかは、読む人に任せよう、と思う。ひょっとすると、芝居ボケしたぼくなんかより、これを読んでくれるあなた、の方がヨーロッパや日本の文化施設の未来、そしてコンカリのような「正しいにおい」のある小屋の未来について役に立つ、何か小さなヒントを読み出してくれるのではないか、と期待して、願うからだ。

手近なところで、先週までツアーしていた北イタリアの例を上げよう。

10年ほど前、アレッサンドリアという街に何年もうち捨てられた農家があった。
畑地の真ん中、ゆるやかな丘に囲まれ、すこぶる見晴らしが良い。一番近くの隣家まで約1キロ。でもさえぎるものが何もないので、トラクターを転がす親父さんの鼻歌が聞こえてくる。さて、このボロ家に目をつけた地元の大工、オペラの大道具係、デザイナーたちが集まって数年間、手作業で劇場に改装した。納屋の2階が舞台。とても小さい。間口が3間(約540cm)、奥行きも同じぐらい。客席もせいぜい100。天井は納屋の梁をそのまま生かした骨太なバトン。そして階下がカフェバー、そこからつながった別棟には、スタッフや出演者が宿泊するための広い部屋が3つ(イタリアのアンティークベッド、窓を開けると緑の丘と森が見える)。さらに付属の広いキッチンとリビング、バスルーム、電話と事務所。演者は滞在中、これらの施設を好きな時間帯に好きなだけ使って打ち合わせたり、仕込んだりしてかまわない。ゲストがいるとき以外は、彼らはたいてい週末になると集まり、芝居を作り、飲み、喰い、騒ぐ。そして年に一度フェスティバルを催す。フェスティバルのチーフはオペラの大道具監督が本業で、ぼくが演じた夜の打ち上げで、ため息まじりに言った。「ああ、明日から仕事だ。<トスカ>なんだよ、でっかい芝居でさ、憂鬱だなあ。NORI(ぼくのことです)が今年のフェスのトリだからさあ、今日でフェスのための有給も終わりだア」ぼくは聞いた「何日ぐらい有給を取ったの?」「ん?3ヶ月」「・・・!!」
アレッサンドリア市は現在この納屋劇場とフェスティバルを公的に資金援助している。ぼくの上演にも市長(いやあ、これが赤いジャケットを着こなしたイタリア美人なんだな)が来てくれた。

次に行ったラコニッジという地方では、ローマから演出家を呼んで、10間(約18m)四方の大きな屋外舞台を設置、出演者70名を超える芝居を上演している真っ最中だった。ぼくも二晩、自分の一人芝居を演じたが、この野外劇場、広大な精神病院の中庭にある。敷地内には森もあれば畑もある。仕込みの途中、あまりに暑くて舞台に寝ころんで空を見上げたら、広場が多くの高い木々に囲まれたいちばん美しい場所にあることが良くわかった。前述の大きな芝居も、いわゆる健常者(この言葉、変だな)と入院患者の共演、ぼくの上演にも患者たちが観客として訪れてくれた。演劇祭の主催は自治体とこの病院、プロデュースは若い医師たちによる。
この病院にはとりわけ長い病歴の(30年とか40年とか、病院に入ったまんま、という)患者さんが多く、中には病棟から外に出られない症状の人もいる。しかし、出られない彼らにとっても、なんだか怪しい芸人たちが病院の敷地内をうろうろし、山のような機材が運び込まれ、夜になると赤やら青やらの照明が灯って、一般の市民がぞろぞろ集まってくる、という状況はどうしたって異常だ。これはつまり彼らの平坦な暮らしの中に外部から大掛かりな非日常という刺激が注入される、「治療」の効果があるのだそうだ。病院業務の一環だ、と医師は言っていた。
しかしぼくから見ると、どうも医者や患者たちが祭りや芝居が好きで、がまんできずに年に一度やってるように見えた、税金を使って。今後の予定としては、病院の門を週に何日か完全開放して、患者たちを自由に街に外出させてしまう、という治療を試すそうだ。あなたは、日々の平坦な暮らしに、刺激的な非日常を注入されてみたくない?

ここで話は2年ほど前に行ったアムステルダムに飛ぶ。
ZAAL100(という名前だったと思う、ちょっと資料が見つからなくてスンマセン)という劇場は、当初、街中に放置されたビル(以前は学校だったらしい)に、若いさまざまなジャンルのアーティストたちが住み着き、バーや劇場、ライブハウスとして勝手に活動、営業をはじめた小屋だ。こういう「勝手に廃屋に住み着きアートやカルチャーを始めてしまう」行為をスクウォット(Squat=しゃがむ、うずくまる、他人の土地に無断で居つく)と呼ぶ。もちろんイリーガル、違法なので、とつぜんの警察隊の突入や強制退去、近隣住民のひんしゅくなど、日常茶飯事。しかしアムスには、そんなすったもんだを繰り返しながら、何とか10年持ちこたえたカルチャー・スクウォッターたちには、リーガル、合法の活動許可と、運営資金援助をする、という条例がある。ちゃんと条例集を調べたわけじゃないので、10年だったか15年だったか、まちがってたらゴメンナサイ。ただ、こういう趣旨の法律がいろいろな国で定められているのは確か。なぜなら似たような例は、アムスだけではなくヨーロッパ全域にあるからだ。と言うわけで、ぼくはアーティストたちが10年がんばって彼ら自身のモノとなった、ちゃんと合法化されたZAAL100で一人芝居を演った。アムスはマリファナも合法なので、上演中、蛍の尻火のように点滅するあかりをいくつも客席に見止め、いやだなあ、やばいなあ、と思いながらもとにかく演じ通し、バラシのときになって二次喫煙の後遺症でぶっ倒れました。プリーズ、ノーモア・ドラッグ。

スクウォットを頭ごなしに禁止しない行政にもちゃんと計算がある。都市部に不動産を持つ地主たちが、放っておいてもどんどん上がる土地代を目当てに、建物を放置しておく傾向があるのだ。わざわざ修繕の手を入れたり、何かの営業をしたり、賃貸したりする手間ヒマを惜しんでいる、というわけ。観光資源も重要な収入であるヨーロッパの自治体や行政は、そんな廃屋を放置させておくよりも、若者たちが
「わずかな援助」をもとに地域密着の文化活動を営業としてできるなら、観光客も呼べるし、だいたい失業対策にもなる。やらすべえ、やらすべえ、というわけで、地主から自治体が借り上げる、ときには放置した罰金として丸ごと取り上げて、スクウォッターたちに運営をまかせる。実際に、このシステムをステップに多くのヨーロッパ小劇場が、国外からも著名なアーティストを呼べるまでに育っている。
そう、彼らにとっては「わずかな援助」でも、ぼくら芝居屋にとっては大金なのだ。

当初はアーティストたちの手作り、善意、ときにはスクウォッティングで始まり、若くて粋のいい前衛が生まれる。訪れる観客が増え、地域の中に定着するうちに行政が資金援助を始める。さらに質の高い作品や作家が国境を越えて集い、やがてあるウェーブ(波)になる。彼らは国際フェスティバルを組織し始める。行政がさらに援助する。アーティストたちは役人ともめ始める。金は出せ、口は出すな。さて、このあたりが分かれ道だ。ただ、ヨーロッパの文化人や芸術家はかなりタフにできている。その小屋がたとえダメになっても、結果としてその土地を離れることになっても、ものづくりの仕事は、もちろん一生涯続くのだ。彼らは言う。「芸術と言う非日常は、いつも日常のわれわれとともにある」

コンカリーニョさん、これからですよ

岩下徹(即興ダンス/京都在住)寄稿日2002年4月3日

コンカリーニョさん、今まで数々の貴重な機会を本当にありがとうございました。それぞれに忘れ難いものとして、この身に残っています。

さて、いよいよこれからですね。時の流れを停めることはできません。どんなにその瞬間をしっかり記憶に留めようと思っても、それはいつも次の瞬間過去となり、いつしか色褪せて消えてゆきます。私たちの生はいつでも<現在進行形>です。「昇る朝日は日々に新しい。(ヘラクレイトス)」即興という行為を続けていると、そんな当たり前のことが、とても大切に思えてくることがあります。特に即興ダンスには、決して抗うことの出来ない時間の不可逆性と共に、人がやがて死すべき存在者であるということが、痛ましさと愛しさを伴って迫ってくるのです。
「ああ、人はいつか死んでしまうのだなァ。」
人は誰しも平等に死に向かって歩いているのです。そして誰でも生きている限りは生き生きと生きたいと思っています。

今までコンカリーニョに関わった人達が、これからも生き生きとなるための何か。それは何よりも場所としての第二のコンカリーニョなのでしょうが、それよりも先ず皆さんの運動/共同体としての<個><個>の交流であると思います。それは人がいる限り、終わりがありません。絶えず立ち止まったり、迷ったり、回り道したり、時には引き返したりしながら、うねうねと進まなければならない過程なのです。これはもう集団即興の共同作業(コラボレイション)そのものではありませんか!舞踏の始祖、土方巽が「生まれたことが即興じゃないか。」と言ったそうですが、どうせ生まれた限りはこの即興を楽しんでやりましょうよ。私もまた参加させてください。