コンカリーニョに縁のある人々による月替わりコラム
「 のるかそるか 」
先月行われた「遊戯祭07 死ぬ気で遊ぶ中島みゆき論」の審査員をした。斎藤ちずに「アンタ長く芝居やってんだから、そのくらいやってよ」とお願いされたのだ。勿論そんな事はしたくなかった。オレだって現役で芝居やっているんだから。「審査員は面倒くさいから、来年遊戯祭出るよ」と答えたら「ちずより歳とった人は出さないよ」と言われた。まったく「なんじゃそれ!?」だ。そんなこんなんでいわば強制的にやらされたのだ。
まぁ、そうは言ってもやってみたら思いのほか面白かった。なんせ最近は若い劇団の芝居なんぞあんまり観にいかないから。若さのエネルギ−に小泉元総理ばりに「感動した!」だ。本当に若い劇団もあなどれないなと考えさせられた。
気がつけば本当に長く芝居をしている。高校演劇も大学演劇も関わらず、ある意味ポッと出で芝居を始めた。だからやり始めの頃は「なんだあの新参者は」とよく言われた。それなので自分ではずっと“新参者”という感覚がある。でも正しくはもう15年以上、札幌演劇界で活動しているのだ。最近15年という月日の長さを感じる。
思い出せばその頃には、TPSを支え映画、テレビでも活躍している斉藤歩氏。彼は「札幌ロマンチカシアター魴ぼう舎」という劇団を主宰していた。俳優座に所属しテレビ、CMでも活躍している増沢望氏。「P-PROJECT」という劇団を主宰していた。そして皆さん御存じのオフィスキュ−社長の鈴井貴之氏。彼は「OOPARTS」を主宰していた。イヤ〜あれから15年。同じ時期に札幌で活動していた皆さんは、驚くほどビックにそして立派になられた。それなのにオレは……。あいも変わらず15年間大したことない芝居を作り続けているだけ。審査委員なんぞやって、偉そうに若い劇団の方に意見いえる立場じゃないです。
遊戯祭の審査員をやって、自分の立場や状況を思いしらされた感があった。それは良かったのか悪かったのか…。ただ、遊戯祭自体は面白かったので以後続くことを願います。
イナダ
イナダ 劇団イナダ組代表。脚本・演出家。日本劇作家協会会員。 北翔大学舞台芸術学科非常勤講師。北海道東海大学非常勤講師。「 新年ということは!? 」
本当に時間が過ぎるのが早い。歳を取るにつれて加速度的にスピードアップしているような気がする。もしかしたら本当にそうなのかも…などと思うことすらある。楽しくともつらくともやたらと1日が長かった少年時代があった。46歳になるなんて思いもよらなかった。誰しもがそうなのだと思う。
「死」とは何ぞや?としょっちゅう考えている。決してわからないことだからこそ考える。わからないものはわからない。しかし、自らが確実にそこへ向かっていることを実感する年齢になってきたように思う。身体という機械が少しずつおかしくなってきている…壊れてきていることを認めないわけにはいかない。忘れる頭・見えにくい眼・治りにくい擦り傷・などなど。「頭の血管がね、あ!切れた…」とか気がつくのさ。身体が動かなくなることが「死」なのかな。実に単純明快。
その先にある何か?いや、あるかもしれない、だけど誰も教えてくれないし、だから考えるのだな。多分、間違いなく何かがあると理性的には思っている私の頭。その何かは恐れるべきものじゃない。きっとそう。しかしわけのわからない恐れみたいなものがあって、それを払拭できるようになりたいと思う。
壊れていく体を認める、「死」を受け入れることができるようになりたいな。唯一の平等かもね。身体を修復するのは自らの心と身体。長く生きることは人間の生理か本能か? 「死」が訪れないことが幸せか? わからないけれど身体だけ長持ちさせてもさ、だめじゃんか…。
気持ち新たに新年を迎える。待ったなしの時間の中で自分は何をするのか考えながら錯綜する。わからないからこそ楽しいこともある。心置きなく死ねるように今年もまた1年!!
たかはし・まさかず
1961年生まれ。インドにて瞑想中、「光ある仕事に就きなさい!」という観音菩薩からの啓示をうけ舞台照明家を志す。自然と人智の結晶、石造りの旧コンカリーニョの設立・運営に携わり大いなる大地・そのGreat Energyの恩恵の元、魂の平和を求め人生という名の「旅」を続け現在に至る。NPO法人コンカリーニョ理事・舞台照明家・愛称まこし。2008 年 1 月 1 日発行
発行:NPO法人コンカリーニョ デザイン:3KG 編集担当:小室明子
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