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    Monthly Column

    コンカリーニョに縁のある人々による月替わりコラム


    「 悲劇と喜劇の合体 」

     面白い芝居をこれまで数限りなく見てきたが、何年か前にベルリンで見たタール・ハイマー演出「エミリア・ガロッティ」の衝撃は、今でも忘れられない。そのときは、他にもマーティン・ヴトゥケが主演した「アルトゥロ・ウイ」も見たが、いずれも役者が舌を巻くほど上手いのには、一驚した。帰ってきて日本の役者の下手さ加減に改めてうんざりしたものである。

     芝居を見る楽しみは、もちろんすべてが役者の上手い下手だけで左右されるものではない。しかし、最低限のレベルがないと、ほかのとりえが少しぐらいあろうとも、さすがに芝居好きを満足させることはできない。日本はだめかもしれないなあ。と思ってきたが、近ごろ少し希望の見える出来事のいくつかに出会った。

     ひとつは、岡田利規の「チェルフィッチュ」の役者である。なんでもないような日常の会話を普通にしゃべっているだけのように見せかけてはいるが、実は恐るべきハイレベルのつくり込みがしてある。役者がうまいのだ。演出の緻密さと役者の上手さが、実は「チェルフィッチュ」の重要な点で、それは、凡庸な日常を凡庸な役者で演じさせる今日の支配的な演劇作法とは、根本的に違う。だからこそ、現代的であり、人の心を動かす。

     もうひとつは、福井県三國で演じられた「けいせい仏原」。近松の失われた原作を元に、中島陽典がテキストと演出を担当した。この芝居は、三國の土地をモデルにしているのでこの地で上演され、我々のメセナの集大成である「アサヒ・アート・フェスティバル」参加プログラムだから見に行ったのだった。正直期待はしていなかったが、役者のひとりふたりにキラリと光る輝きがあって、思わぬ拾い物をした喜びがあった。

     こうしてみると、日本の演劇にも、もしかしたら期待していいような気になってくる。とはいうものの、2、3の例外を除けば満足な演劇学校もない国で、いい役者が生まれるのは相変わらず困難であろう。せめて東京芸大をはじめ、芸術系大学は演劇科の創設を早急に実施するべきである。解決すべき課題は多いが、優先順位は決まっている。  その上で、不自然で陳腐な求道精神で押し通そうとする面白みのかけらもない芝居と、一方でお笑いさえあれば観客が満足すると思う観客蔑視と迎合の奇妙な取り合わせの双方から脱却する必要がある。面白くて、恐ろしくて、明るくて、暗くて、それでも生きていくことを勇気付ける芝居、すなわち悲劇でもあり喜劇でもある芝居をつくろうよ。

    加藤 種男

    加藤 種男 1948年兵庫県生まれ。90年にアサヒビール(株)企業文化部課長就任以来、企業によるメセナ活動を幅広くリード。アサヒビールのプロジェクトとして、アサヒ・アート・フェスティバル、ロビーコンサート、文化・音楽講座等多彩なメセナ活動を展開。アートと市民社会をつなぐ企画のプロデュースを多数手掛ける仕掛け人としての顔も持つ。文化経済学会理事、日本NPO学会理事、日本NPO センター評議員、埼玉県芸術文化財団理事。共著に『社会とアートのえんむすび—つなぎ手たちの実践』。

    コンカリーニョ・高橋正和のつれづれコラム


    「 人生論?? 」

     忙しさに感けて自然の中に生きる人としての大切なことを忘れる。というか、かまうことができなくなる。自分が望む自らの姿からどんどん遠ざかっていくような気がして切ない気分になる。だがこれも確かに通らなければいけない時間なのだと思う。進むべき方向はいくらでもある。いつでも行ける。これは事実。忘れないように。そう、だからこそ今ここに立っていられるのだ。命ある世界中の人間達がそうであるようにと願う。全ての方向に別々の価値観がありその多様さに否定すべきものは何一つ無い。だから何処へ行ってもかまわない。後ろ指を差される理由は無い。とどまっている自分はとても不自由に感じるけれど目の前には満天の星のように広がっている自由がある。だから生きていることってすばらしい。どんなことでもできるのだから。

     ……と唐突に何事なのでしょうか。実は締め切りを忘れていた?いや、勘違いをしておりました。今日、11月13日。秋の舞台ONシーズンの真っ只中でありまして滝川にて執筆中なのです。滝川市民ミュージカルの仕込み日でありまして、頭、大渋滞中。このあいだ、「とうとう仕事に追い越されちゃった…」と名言?迷言を吐き、おーい、待ってくれ・・と仕事を追いかけている最中であります。だから人生論???

     「どんなことでもできる」人生。「どんなことをやろうか!?」にかかっています。「舞台」にはまった人が回りにいっぱい。しかし忘れてはいけない、舞台ではまたさらに「どんなことでもできる!」という大変な自由が待ち構えているのです。できないこと=制約があることはとても楽チン。しかしつまらない。そうじゃないこと、すなわち生きるってことを表すことが舞台では可能なのです。だから舞台ってすばらしい……。

     誰しもが不自由であることに慣れないように。 自由でありたい自分を責めないように。

    たかはし・まさかず

    1961年生まれ。インドにて瞑想中、「光ある仕事に就きなさい!」という観音菩薩からの啓示をうけ舞台照明家を志す。自然と人智の結晶、石造りの旧コンカリーニョの設立・運営に携わり大いなる大地・そのGreat Energyの恩恵の元、魂の平和を求め人生という名の「旅」を続け現在に至る。NPO法人コンカリーニョ理事・舞台照明家・愛称まこし。

    劇場通信|Vol.12

    2007 年 12 月 1 日発行

    発行:NPO法人コンカリーニョ デザイン:3KG 編集担当:小室明子

    Special Thanks:

    A Picture

    一枚の絵

    藤沢レオ Fujisawa Leo

    1974年虻田町生まれ。彫刻家。大学在学中より3年間、ラム工房にて修行。北海道内のみならず、東京や海外でも個展やグループ展を行う。現在、札幌芸術の森で開催されているクリスマス展「私の好きなクリスマス」も出展中。11月末からはフランスで行われる「パリ国際サロン」にも出展。