コンカリーニョに縁のある人々による月替わりコラム
「 ダンスの自由 」
「あなたにとってダンスとは何ですか?」「少しずつ自由になって行くことです。」—20年近く前、日豪新聞の或る記者の方からの電話インタヴューに私はそう答えていました。山海塾の舞踏手のひとりとして、シドニー公演の為に滞在していたホテルでのことです。その時まったく訳も分からず、ふと口を突いて出た言葉ですが、その言葉は今でもなお私のなかで大きく響き続けています。帰国後間もなく滋賀県・湖南病院(精神科)でのワークショップが継続実施されることになりましたが、その際参加される患者さんの為に書いた「少しずつ自由になる為に」と言う短い文章のタイトルは、やがて病棟でのワークショップのみならず私の活動全ての目標になりました。そして今までにどれ位その目標に近づけたかと言いますと、実は恥ずかしながら中々近づけないのです。近づいたと思うと、直ぐに遠のいて(まるで逃げ水のように)。この2、3年は、むしろ逆にどんどん遠ざかっているように感じることも度々です。世間では「継続は力なり」と言いますが、私にとってダンスは、続ければ続けるほど難しくなっているように思われます。否!難しいからこそ続けているのでしょう。文字通り暗中模索で、全然先は見えませんが。
では、私にとってダンスの自由とは? —断じて思いのまま身体を動かすことではありません。身体は決して思ったように動いてくれないからです。もともと身体とは不自由なもの。私達がそれぞれに個々の身体であること自体、不可避的な制約・限定なのです。誰もそこから出ることが出来ませんし、また誰もそこに入ることも出来ません。そして、誰もが死ぬまでそこだけで生きて行かなければならないのです。この<個>の身体と言う実存の闇から抗い難く表出する動きや形こそが、私にとってはダンスなのです。「自由は自らの意志で不自由を受容した人のなかに在る」(鈴木大拙)なら、己が身体をもって全力で己の限界を生きることが、私のダンスに於ける「自由」なのかも知れません。
このことに就いて深く考えさせられたのが、2005年4月3日(日)、ことにパトスで行われた「SHOOT THE WORKS!」コラボレーション「自由・交感」Act2での出来事です。私は、朝から続く激しい腰痛の為に本番直前になっても立つことすら儘ならず、遂に椅子に腰掛けた状態で公演に臨みました(実は、前日のコラボのリハーサル後に腰痛は始まっていました)。「手足をもがれた…と比喩的にいいますが、それに近い状態での踊りでしたが、感じ入るところがたくさんありました」(I.M氏のメールより)—私にとっても忘れられない体験でした。動きが椅子の上だけに制限されていることで、却って身体のなかに動きへの強い衝動のようなものがはっきりとしてきたのです。何かとても熱いものが私のなかで叫んでいるようでした。それは一体何だったのでしょう? その時私は「自由」だったのでしょうか?
岩下 徹
岩下 徹 ( いわした・とおる ) 舞踊家。山海塾ダンサー。ソロ活動では<交感(コミュニケーション)としての即興ダンス>の可能性を追求している。1957年東京生まれ。82〜85年石井満隆ダンスワークショップで即興を学び、83年ソロ活動開始。かつて精神的危機から自分のからだを再確認することで立ち直ったという経験を原点とするソロダンスは、等身大のからだひとつで立つことから始まり、場との交感から生まれる即興として踊られる。1988年より滋賀県/湖南病院(精神科)で医療の専門スタッフと共にダンスセラピーの試みを継続実施中。日本ダンスセラピー協会副会長。京都造形芸術大学客員教授。「 作品があって・・・光あれ・・・ 」
私は舞台照明家です。舞台で行われること…いわゆる「作品」に対して光を浴びせます。光の力はとても強いのでうかつなことはできません。光は「作品」の意図を汲み取ってお客さんへの橋渡しをするための武器としての役割を担っています。私は作品を生かすも殺すも自分次第という意識を持っています。そういう意味では私もクリエーターです。たとえば芝居、作家・演出・照明・音響・舞台美術・衣装・監督・制作etc、みんながクリエーターとして機能してはじめて一つの舞台公演が出来上がります。その中で照明家は作品が生まれる直前、最後の最後にかかわることが多い…だいたい出来上がっているところに駄目押しのウエポンとして投入されます。仕上げを担当するものとして失敗は許されません。だからこそその作品とどのように接するのかがとても重要なのです。
作品にもよりますが公演準備は本番の何ヶ月も前から始まっています。時にはたった1回の公演のために膨大な時間と労力を割いて作り上げられています。経済社会の論理で言えば「何で?何のためにそんなにがんばって作るの?」といいたくなるようなまったく非生産的な行為です。特にアマチュアの場合、プロであっても多くの場合、労働に対する対価という概念で考える見返りは無いに等しいような場合も少なくありません。それでも決して世の中から消えて無くならないことには理由があります。社会生活するうえでは無意味なのです。しかし生きていく—人として—では最高なのです。いつも思うのです。人間が人間としてもっとも大切なことは無意味と言われるようなことなのだ…と。それがあるからこそ人間は人間として人間らしく生きていけるのだ…と。だから最も人間としてすばらしい行為を為している者たちが創り上げてくる無意味の結晶のような作品を私は尊敬するのです。かかわりあえたことを幸せに思うのです。そして自分は光という武器を使って自分ができる最大限の援護射撃をするのです。そう、それが私の仕事です。
……ところが時々だめな場合があります。尊敬しきれないことがあります。そういう場合は自分もかなりつらい。作品に創った者の魂が感じられないとき、とても困ってしまいます。自分が悪いのか—多分そうなのか—そうならないように願いながらまた新たな作品と対峙するのです。いつもどきどきです……。
たかはし・まさかず
1961年生まれ。インドにて瞑想中、「光ある仕事に就きなさい!」という観音菩薩からの啓示をうけ舞台照明家を志す。自然と人智の結晶、石造りの旧コンカリーニョの設立・運営に携わり大いなる大地・そのGreat Energyの恩恵の元、魂の平和を求め人生という名の「旅」を続け現在に至る。NPO法人コンカリーニョ理事・舞台照明家・愛称まこし。2007 年 11 月 1 日発行
発行:NPO法人コンカリーニョ デザイン:3KG 編集担当:小室明子
Special Thanks: