コンカリーニョに縁のある人々による月替わりコラム
「 蟹アレルギーな私だけれど 」
1度目の北海道上陸は、1999年、劇作家大会に参加した時です。
2度目は翌2000年1月に職場旅行で行きまして。小樽で観光後、札幌でカニの食い放題に行きました。でも、私はエビとカニがアレルギーなので実は何も食べれない!と悲観していたら、お店が気をきかせてくれて私だけ特別に刺身セットを用意してくれまして。でも私、カニもエビも好きなんですよ。でね、あんまり美味しそうだったんで食べてみたんです、タラバガニを。これがビックリ! アレルギー出ないんです!隣の毛ガニは駄目だったですけど。タラバは大丈夫! 後で調べたら、タラバってヤドカリの一族なんだとか?まあそういうことで、そんなアレルギー無しカニが判明した記念すべき土地が札幌でした。職場旅行が終了し、翌日から私だけ単独行動で富良野を目指しました。当時ウチの劇団員、有門正太郎が富良野塾にお世話になってて、そのスタジオで公演をやると聞き、雪の中を行きました。九州の人間にとって、自分の背丈より高い雪ってのは脅威なんです。そんなそびえ立つ雪壁を眺めながら山奥に入っていくと、その雪壁に文字が書いてあります。「文明に麻痺していませんか?」思わず麻痺してます! すみません!と心で叫びます。芝居は富良野塾創成期のコトを描いた『谷は眠っていた』って作品で、ええ、何か泣きました。意外とストレートなのに弱いんです私。有門も塾に入りたての割にはいい役をもらってて、これも親心って言うんですか?ちょっと切なくなりまして。ちょっと父さん嬉しくなったんですよ。
で3度目は、遂に我が飛ぶ劇場の作品を持って上陸です。タラバを食いに行く訳ではありません、芝居を見る為でも温泉に浸かるわけでもありません。芝居をやるんです! 九州で作られた作品を北海道の人が観るってなかなかありませんからね、ホント違う国に持って行くくらいの感覚ですよ若干大げさですけど。
『あーさんと動物の話』は、私の幼少期から現代に到る様々なエピソードをちりばめ、泊篤志本人の人生とはちょっとだけ違った新しい物語を構築しようとする試みです。悲しいことも楽しかったことも悔しかったこともグルグル渦を巻いたその中心で、主人公あーさんはどんな歌を歌うのか?皆様お楽しみに。そして終演後、酒でも飲もうではありませんか。肴がタラバじゃなくてもいいですから。
泊 篤志
泊 篤志 ( とまり あつし )
1968年生。北九州市出身。地元大学の演劇研究会で上演作品の執筆・演出を開始。卒業後、東京の某ゲーム会社で約2年TVゲームのシナリオの仕事をし、北九州へUターン。'93年「飛ぶ劇場」に復帰。1997年『生態系カズクン』で第3回日本劇作家協会新人戯曲賞を受賞。現在、北九州芸術劇場の学芸係ディレクターとして勤務。
「 長い長ぁい道のりなのさ 」
タップダンサーの熊谷和徳さんと話をしました。「今に至る以前の下積みの時代、応援してくれていた人に苦労をかけたことはたくさんあった」…というような内容のこと。講談師の神田山陽さんのお話。「作品が一人前になるには100回の上演が必要なんだ」…と昔からいわれている常識。最近お二人ともコンカリーニョで公演をされて、共に盛況でした。実力があって、名前も出ていて、当然といえば当然の結果ですし、もちろんお客さんも満足できる内容の公演であったと思います。しかしいつもそこで考えるのがコンカリーニョの役割。下積みの時代や作品が半人前としか思えなくても、お客さんが100%満足してくれるとは考えにくい内容のアーティストの公演や作品達はプロデュースしてはいけないのか?
劇場に足を運んでもらうこと=お客さんの時間を買うこと。結果、良くない公演だった場合の責任はプロデュースする側にあります。しかし未熟なものをそうじゃなくすためにはお客さんの前に「晒す」ということは必要不可欠な行為です。現状ではそのような公演にお客さんを集めることはとても難しい。「絶対いい公演だから見に来て!」ではなく「将来を感じさせる作品 — 無名だけどいいアーティストになる可能性を秘めている — 今回はそんな公演ですが見に来ませんか?」ではお客さんはなかなか来てくれません。しかしそれを許容し育てていくためには未熟な公演を見て楽しむ、そういう時間を買うことに価値を見出すお客さんを増やさなければいけません。
ところが近年 — 特に日本ではそういうことは逆に難しくなっていっているような気がします。アメリカとかヨーロッパとかで実力を認められて逆輸入されてくる日本人アーティストの多さに対してその逆はあまり聞きません。寂しいことです。なぜなのか?理由は山ほどあれど、それを解消していくために必要なことはまず継続すること。だからといって闇雲に続けるだけでは何も変わりません。大きく考えながら一つ一つ具体的に紐解いて、繋いで長い目でやり続けること、それしかないのでしょう。自分が生きているうちにどれだけのことができるのか?わからないけれどコンカリーニョはいつもそういう人間達がいる場所でありたいと思う今日なのです。
たかはし・まさかず
1961年生まれ。インドにて瞑想中、「光ある仕事に就きなさい!」という観音菩薩からの啓示をうけ舞台照明家を志す。自然と人智の結晶、石造りの旧コンカリーニョの設立・運営に携わり大いなる大地・そのGreat Energyの恩恵の元、魂の平和を求め人生という名の「旅」を続け現在に至る。NPO法人コンカリーニョ理事・舞台照明家・愛称まこし。2007 年 10 月 1 日発行
発行:NPO法人コンカリーニョ デザイン:3KG 編集担当:小室明子
Special Thanks: