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    Monthly Column

    コンカリーニョに縁のある人々による月替わりコラム


    「 心を伝えること 」

    日本舞踊は六歳の六月と六日からはじめて終わりは無し、と言います。私は三歳で入門して以来七十五年以上続けていますが、やはりゴールは見えて来ません。

    所作の約束がたくさんあります。一からはじめてそれができたら次はこれ、その次はこれと、一つずつ積み重ねていきます。段階に合わせた演目があって、それをきちんと踊れないと、次に進むのが難しいのです。それはやはり、長い伝統の中でそのように培われてきたのだと思います。だから私もお稽古を欠くことはできません。

    古典は文字通り古くからあるものなので、若い人には興味がわきにくいのは当たり前のことだと思います。でも古典も作られた時は新作だったので、その時に伝えようとしたことが今でも感動をもって受け入れられるので残っているのです。日本舞踊に触れてみようという人に、私が一番大切にして欲しいと伝えているのは、踊りながら自分が今何をしているのか、どういう気持ちでいるのかをちゃんと考えていてください、ということです。それは舞踊で伝えたいのは「うまさ」よりも、「心」だからです。心が伝わってはじめて感動が生まれると思うからです。これは日本舞踊に限らず、ジャズダンスや歌など他の表現でも同じではないでしょうか。

    古典以外に創作舞踊も続けています。その時には他のジャンルの方々にも参加していただくことがあります。普段の動きやすいコスチュームから着慣れない和服に着替えて全く勝手の違う型を踊るので、どなたも最初は戸惑いますが、何度も稽古をするうちに伝えたい心が調和するようになり、皆さん大変楽しんでくださいます。私も去年コンカリーニョのお芝居に参加させていただきました。舞台で台詞を言うのは初めてで、こんなに大変なものかと思いがけず苦しみましたが、稽古に通うのが楽しくてなりませんでした。

    日本舞踊には高価な着物や特別な装置・技術が必要で、身近なものではないと思われているかもしれません。たしかにそういう面はあります。でも所作台などなくても、小さな空間でも、伝えたい心があればきっと伝える方法はあるし、助けてくださるスタッフの方々がいるはずです。

    コンカリーニョはいろんな変化をみせてくれる空間ですね。行く度に刺激を受けます。コンカリーニョで作った創作舞踊が、将来古典になるようなことがあれば、私はそれを私のゴールと呼んでもいいような気がします。

    花柳金栄

    花柳流 「 金花会 」 主宰
    北海道邦楽邦舞協会理事・運営委員
    札幌文化団体協議会西文団協会長

    コンカリーニョ・高橋正和のつれづれコラム


    「 キククスリ... (イナダ組のパクリじゃないよ) 」

    学校の勉強は大嫌いだった。高校時代はしょっちゅうサボったし、小中高とこんなにつらい思いをしたのだから大学へは遊びに行く!と決めていた。特に英語と歴史が嫌いだった。地理だけが救いだった。地球儀を見ているだけでわくわくした。未知なる風景を想像した。ナミビア砂漠やフィヨルド地形を見たくなった。英語はトラウマ。初めてのテストで学年下から○○番目の成績であった。歴史はつまらん数字(年号)を暗記しようと無駄な努力した記憶しかない。今思えば最も面白いはずの教科が一番つまらなかったということだ。どんな時代を経て今があって、そしてこれから新たな歴史を刻んでいく僕達がいる。楽しくない方がおかしい。だけど僕はダメだった。発見する楽しさとめぐり合えなかった。暗記は大嫌いだった。

    先日、我がNPOの理事長自ら演出のいわゆる住民参加型のお芝居の上演があった。それは僕たちのホームグラウンドである琴似・八軒地区の史実を題材に作られた創作芝居.昭和のはじめ、琴似(琴似村)にひとつの劇団があったそうな。その名は「琴似新劇団」。なな、なんとこれは事実だって!!

    発見です。本当かよって感じです。どんな劇場でどんな公演をやっていたのだろう? どんなお客さんが足を運んで、そしてその人たちの暮らしぶりはどんなだったのだろう? 今のヨーカドーの場所に劇場があった! どんな人が運営をしていたのだろう?

    タイムマシンが欲しくなります。想像します。思いをはせます。

    ひとつ「知ること」でわくわくできたならもっと知りたくなる。それこそが本当の「学ぶこと」だと思うのです。今回の芝居には子供たちも多数出演していました。大人と共にわくわくできる意外な史実を知り、その風景を想像すると、もっと知りたくなる。「知る」事が競争されている今の学校では決してできない健康な「勉強」がそこにはあったと思うのです。だって時を越えて自分の居場所がわかるもの。同じ事をやっていた、同じように楽しんでいた人達が自分の知らない昔にいたんだぜ! ってね。

    ロマンだね、歴史は。足元を見て、未来を想像することに繋がるというお芝居の効用のひとつでした。これぞキククスリ。

    たかはし・まさかず

    1961年生まれ。インドにて瞑想中、「光ある仕事に就きなさい!」という観音菩薩からの啓示をうけ舞台照明家を志す。自然と人智の結晶、石造りの旧コンカリーニョの設立・運営に携わり大いなる大地・そのGreat Energyの恩恵の元、魂の平和を求め人生という名の「旅」を続け現在に至る。NPO法人コンカリーニョ理事・舞台照明家・愛称まこし。

    劇場通信|Vol.4

    2007 年 4 月 1 日発行

    発行:NPO法人コンカリーニョ デザイン:3KG 編集担当:小室明子

    Special Thanks:高橋聡

    A Picture

    一枚の絵

    阿部 俊明|Abe Toshiaki

    1948 年、中標津町生まれ。現在、琴似在住。鮮魚店を経営していた1995 年、事故により頸椎損傷両上下肢機能全廃となる。その後、家族のアドバイスをきっかけに、口に筆をくわえての絵画活動を続けている。作品集「生きる喜び絵筆に込めて」( 北海道新聞社) が発売中。